2011/02/20

#41 解説:カナダのスポーツ政策(5)

 (5) 「フィットネス・アマチュアスポーツ法(1961年)」 制定のスポーツ的背景

スポーツ的背景って何?……要するに、カナダにおける連邦レベルの初のスポーツ法である「フィットネス・アマチュアスポーツ法(1961年)」(以下、「1961年法」)の制定に影響を及ぼしたスポーツ上の理由、事情等であります。

Terry は、以下の2点が1961年法制定のスポーツ的背景であったと考えています。

1) カナダの国際競技成績の不振
①当時、英連邦競技大会などの大会において、南アフリカやメキシコ及び西インド諸島よりも下の競技成績であったこと
②1960年ローマオリンピックでの競技成績がブルガリアやニュージーランドを下回った第26位であったこと
③1956年コルチナ・ダンペッツォ及び1960年スコー・バレーの両オリンピック冬季大会で、当時、国技と見なされていた(注)アイスホッケー競技においてオリンピック史上初めて2大会連続して優勝を逸したこと
 このように、「カナダの国際競技成績(特にアイスホッケー)の不振」が「スポーツ分野における威信の喪失」、ひいては「国家威信の喪失」や「国民の士気の低下」に影響を及ぼすのを防ぐことが1961年法を成立に向かわせた一要因であったと考えられます。

(注)カナダでは1994年「ナショナルスポーツ法(National Sports of Canada Act)」により、アイスホッケーとラクロスがナショナルスポーツ(国技)として認められています。

2) 国際スポーツにける旧ソ連の台頭
 ロシア革命(1917年)以後、オリンピックに参加していなかった旧ソ連は、1952年ヘルシンキ大会からオリンピックに参加するようになり、それ以後、1956年メルボルン夏季大会においてアメリカを抜き去り、金メダル獲得数第1位の座に着くなど、旧ソ連は国際競技大会でめざましい活躍を遂げたました。カナダがオリンピックで、過去7大会中6度優勝していた国技であるアイスホッケーの覇権を、1956年コルチナ・ダンペッツォ冬季大会(※世界選手権兼ねる)で旧ソ連に奪われ、そして、世界選手権を兼ねたオリンピックで史上初めて金メダルを逸したことで、カナダ国民が旧ソ連の台頭及び社会主義体制の脅威を肌で感じたようです。
 このように「国際スポーツにおける旧ソ連の台頭」により「社会主義体制の正当化または脅威」をもたらしたことが、1961年法を成立に向かわせた一要因だったと考えられます。

 SMJブログの本シリーズは、少々マニアックな解説になってしまいました。1961年と言えば、日本においても 「スポーツ振興法」 が制定された年でもあります。「スポーツ振興法」と「フィットネス・アマチュアスポーツ法」の成立背景を比較するのも面白いかもしれません。

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