2011/02/17

#38 解説:カナダのスポーツ政策(2)

 (2) ディーフェンベーカー首相のスポーツへの思い

1867年のコンフェデレーション(連邦結成)以来、カナダでは、進歩保守党(現在は保守党)及び 自由党 の二大政党のどちらかが、長らく連邦議会の政権を担当していました。特に、1935年のマッケンジー・キング(William Lyon Mackenzie King)政権以降の約44年間は、ディーフェンベーカー(John George Diefenbaker)保守党政権期(1957-1963)を除きすべて自由党政権でした。カナダにおける連邦レベルの初めてのスポーツ法である「フィットネス・アマチュアスポーツ法(1961年)」は、自由党政権期には制定されず、その狭間のほんの数年の保守党政権期に制定されたのでした。

この度の「カナダ現地調査」で、Terry は Bruce Kidd 教授(トロント大学)から、非常に興味深い話を伺いました。

1976年モントリオールオリンピックの開会式の日に、Kidd 教授が競技場地下の駐車場を歩いていた時、道に迷っているディーフェンベーカー元首相を見かけました。Kidd 教授は、陸上選手だったころ元首相から表彰されたこともあり、すぐに彼だと気づいたそうです。

そして、その場で交わされた二人の会話から、ディーフェンベーカー元首相が、1936年ベルリンオリンピックを見た際、(当時ナチスドイツの支配下にありながらも)その国家によるスポーツの活用法に大いなる感動を覚え、カナダにおいては民主的な方法でスポーツを国づくりに役立てたいと考えるに至り、その結果、1961年のスポーツ法誕生につながった…ということを Kidd 教授は知ったようです。

1936年ベルリンオリンピックには多くの負の遺産もあったでしょうが、例えば1936年以降の大会でも「聖火リレー」が導入されるようになるなど、正の遺産もあったように、同オリンピックはカナダのスポーツ政策にとっても少なからず影響を及ぼしていたと言えるのではないでしょうか。

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